【TDF帯同記 試し読み02】餃子隊員、お抱え絵師になる
実はミラノへ行く直前、スイスの記者だという人からツイッターでコンタクトがあった。
極東の国のファンがイラストを描いてスイスのチームを応援している。そういうことを記事にしたいのだという。サンレモで会えないか、と言われたが私はサンレモに行く予定はなかったので諦めていたのだが、取材はメール経由で行われ、私のイラストと談話がスイスの新聞(スポーツ紙などではないけっこう大手の新聞)に掲載された。ぶっちゃけ、私の周囲はそれだけでお祭り騒ぎだった。すごいことだ。ありがたい。
しかし、話はそれだけで終わらなかった。
ミラノへ行った直後、もうひとり私にコンタクトを取ってくれた人物がいる。
なんと、IAMサイクリングのスタッフだ。
Alfonsoという名前の彼は、私がチームへ、と渡したステッカーをチームオフィスで受け取り、そして会場で親切にしてくれたお礼にとツイッター上で描いたカールストローム監督の似顔絵イラストを見たんだけど、とメールをくれたのだ。
「あなたは記者? アーティスト?」
私に興味を示す彼は、スイスの記者の人よりも先に、私のことが記事になったことを教えてくれた。
そして、何度かメールをやりとりするうちに、その内容はどんどんと私の想像の外へと転がっていった。
「チームで本を作ろうと思っていて、それにあなたのイラストを使いたいんだけど、どう思う?」
(マジか! 光栄すぎる! ぜひ!)
「どういう本にしたいかイメージはある?」
(待って挿絵レベルじゃなくて全編私のイラストなの?)
「21のステージをそれぞれの章に分けて、チームの仕事とツールを紹介する本にしたい」
(こういう素材が欲しい〜みたいなのをリストアップして取材してもらって、私がイラストを描くかんじかな〜?)
「チームのことを肌で感じてもらうには、あなたが三週間ツールに帯同して直接取材するのがベストだと思うんだけど、検討してみてほしい」
(ちょっと待って何を言っているんですか??)
チームに帯同して、私が取材をする?
てことは三週間ずっと英語漬け?
いやいや問題はそこじゃなくて…。
えらい簡単に言うもんだ。
返事を書きながら気付いた。
そうだヨーロッパはバカンスシーズンなんだ。
ふらっと来れると思ってるな?
いやちょっと待ってくれ、日本人というのはそれはもう休みが取れない民族でね、あなたたちの想像を絶すると思うのでという事情説明をしつつ、返事を待ってほしいとお願いする。
悩んだ。
死ぬほど悩んだ。
三週間仕事を休むって正気の沙汰ではない。
正気の沙汰の人もいるかもしれないが、こちとら四日有給を取るだけでゴリゴリに詰められる職場で働いているのだ。
吐くほど悩んだ。泣くほど悩んだ。
結構いろんな人に相談して、いろんなアドバイスを貰った。
中でも多かったのが「いっそ仕事辞めてフリーになれば?」というものだった。
ハ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜無責任か。
私はデザイナーでもイラストレーターでもない。しがないDTPオペレーターだ。そして、派遣としてバリバリやっていけるような超絶技術のあるスーパー社員でもない。せっかく得た正社員の仕事をぽいっと放り出して、ツールへ行ってきますという勇気なんてなかった。臆病だろうか?
今の仕事は好きだ。自分に合う仕事だと思う。これからじっくり技術を磨いていこうと思っていた矢先だった。今辞めたら絶対に後悔する。かといって、ツールへ行くのをやめたらそれはそれで一生後悔すると思った。
私にアドバイスしてくれた人たちは、私の人生の責任なんかひとつも取ってくれない。
自分の人生だ。当たり前だ。
自分の選択なら、自分で責任が取れる。
私は悩みに悩んで、会社も辞めず、ツールにも行くという選択をした。大変だった。ブチャラティかよ。
会社との交渉の詳細は省く。上司とはモメたが、部長と同僚が暖かく送り出してくれたので事なきを得た。
部長も同僚も、
「自分がいま面倒を見ている少年野球にも国際大会なんかがあって、けどいろんな事情でそれに行くのを諦める子がいる。だからできるかぎり応援してやりたい」
「仕事のことは気にしなくていい。ものごとにはタイミングがある。いつか、では出来ない。今出来ることは、今したほうがいい」
というようなことを言ってくれた。
私は涙腺の蛇口がぶっ壊れてるレベルの泣き虫なので、そう言ってもらえて、いい会社に入ったなあとしみじみと思い、メチャメチャに泣いた。
帰国したら(死なない程度に)死ぬほど働こうと思った。
(【TDF帯同記 試し読み03】推しは近くて遠いへつづく)
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【TDF帯同記 試し読み01】はじまりはミラノサンレモ
はじまりはミラノサンレモ
私はシルヴァン・シャヴァネルのファンだ。
不思議なことに、今となっては一体どのタイミングで彼を好きになったのかはさっぱりわからない。稲妻に打たれたように、「推すぜ!!」と決めた瞬間がどうも思い出せないのだ。
ロードレース観戦を始めたのは2009年から。しかしツール・ド・フランスの時点ではあの年出場した二人の日本人選手のことばかり見ていたように思う。もしかしたら、あとから見た2008年のツールでの劇的な逃げ切り勝利がきっかけだったかもしれない。でも、本当に覚えていない。
しかし、とにかく私はシルヴァン・シャヴァネルのファンなのだ。中堅、ベテランと呼ばれるようになってからも変わらない、懸命で、ひたむきで、アグレッシブなレーススタイル。派手好きで、大統領と会うときでさえ柄シャツを着てしまうところも好きだ。私には若干笑いどころの解らないギャグセンスだってかわいい。自由奔放で、わかりにくい、その複雑な人柄にも惹かれた。
まあ、これはあくまで私の印象で、妄想なので、実際のところどうなのかはわからない。実物と想像は必ず乖離する。誰かのことを完全に理解することなんて幻想でしかなく、本人を目の間にしたところで、私にそれがわかるわけがない。けれど、「推し」というのは、おそらくそういうものだ。わかった気になる、わかったような気がする。わかろうとする。それがうれしい。楽しい。そういうものだろう。
閑話休題。
今でこそ、ジャパンカップやさいたまクリテリウムでいろいろな選手が来日するようになったが、私が自転車レースを見始めた頃はフランス人選手の来日の目はほぼなかった。あるとすれば、当時新城選手が所属していたブイグテレコム〜ユーロップカーの選手くらい。シャヴァネルはそれらのチームには所属していない。日本に来てくれるのを待つのは無駄だ。諦めた。でも、引退する前に一度でいいから生で見たい。そう思っていた頃、友人がミラノ〜サンレモに観戦に行くという話を聞いた。
ミラノ〜サンレモは、シャヴァネルが目標にするレースとして挙げていた。怪我などがなければ毎年出ているレースだった。ミラノなら観光地だし、スタートだけなら(今から考えれば、ゴールも)公共交通機関だけで行くことができる。候補に入れてもいいかもしれない。
友人にどんな雰囲気だったか(例えば、チームバス周りの混雑など)帰ったら聞かせてほしいと言いながら、会えたらでいいのでシャヴァネルにプレゼントを渡してくれないかと頼んだら快く引き受けてくれた。
シャヴァネルの似顔絵と餃子のキャラクター「餃子たん」が当時のシャヴァネルの所属チーム「クイックステップ」のジャージを着ているステッカーを友人に送った。
(「餃子たん」ってなんぞや?という方はこちらの記事をごらんください。)
レース当日、私自身は広島でJプロツアーのレースを見ていた。レースを終えた頃、メッセンジャーに「任務完了」の報と共に一枚の写真が送られてくる。
そこには、シャヴァネルが私の作ったステッカーを持って微笑んでいた!
本人に直接渡せなくても大丈夫なように、中にはスタッフ宛に「シャヴァネルに渡してください」と手紙を入れていたのに、友人が気を利かせてわざわざ「ちょっとベテランっぽいメカニック」に声をかけて「シャヴァネルにプレゼントがある」と伝えたところ、そのスタッフが本人を呼んできてくれたというのだ。
やるやん!
(ちなみに、そのとき友人はシャヴァネルと握手をしてもらったという。次に私と会う秋まで手を洗わないでくださいと言った。無茶である)
そうして、私の似顔絵と餃子たんは、そこで初めて「推し」の手に渡った。
自分では会えなかったけれど、そのときはそれでちょっと満足してしまった。
これが2013年のこと。
余談だが、その年のジャパンカップにクイックステップが出場した。当時シャヴァネルが在籍していたチームである。
とはいえ、やはりシャヴァネルは来日しなかった。
ちなみに、来日した選手たちにも「餃子たん」のステッカーをプレゼントしたところ、ピーター・セリー選手が「これ見たことある。シャヴァネルの携帯にも貼ってあったよ」と教えてくれた。そう、言った、気がする。言ったことにしよう。私は舞い上がった。報われた、と思った。
ファン活動なんか報われようと思ってしたら不幸になる。
そんなことはわかってる。わかっているけれど、報われたら喜ぶことにしている。そうでないと、報いてくれた推しに失礼だからだ。
そこんとこ詳しく!! と言えない語学力に歯噛みしながら、漠然と、来年、再来年になるかもしれないが、とにかく、私もミラノ〜サンレモに行こう、シャヴァネルに会いに行こうと思ったのだった。
そして、2015年。
いよいよ満を持してミラノ〜サンレモへ行くことになった。
前年シャヴァネルはチームを移籍して、そのときはスイスのIAMサクリングチームに所属していた。それでもプロツアーチームなのでチームとしてはミラノ~サンレモに出場することは間違いない。
上司の顔色を伺いまくって休暇を取る。ひどい嫌味を浴びてそこでぐったりしてしまったけれど、取ってしまえばこちらのものだった。
そこで事件が起きる。
年の初めに撮影されたインタビュー(英語字幕付き)を見ていたら、どうやら「今年はミラノ~サンレモには出ずに」と言っていることに気が付いたのだった。えっうそ待って。ロードレースはこれがあるから怖い。基本的に推しの出場は博打なのである。けれどホテルも取ってるし、航空券も用意した。
もう引き返せなかった。行くしかない。
そこに推しがいなくても。
水曜日の深夜。関西空港。
ひとりで国際線の飛行機に乗るのは初めてだった。
ああ推し出ないんだ…という暗い気持ちのまま、でもとりあえず作った似顔絵ステッカーを、本人のアカウントを付けてツイッターにポストする。そうすると、なんとシャヴァネルがそれをリツイートしてくれているではないか! あんたが出ないっていうからこっちはへこんでるんだぞ! そういうとこだぞ推し! と思ったが、当然嬉しかった。その事実に慰められながら私は出国した。
ところが、イタリアに入国してWifiの電源を入れた途端、一発逆転。シャヴァネル出るってよ、とツイッター経由で知らされたのだ。
あのインタビューなんだったんだよ!!! とマルペンサ空港でがっくりうなだれている場合ではない。(ちなみに、今でも真偽不明)とにかく、スタートへ行けば会えるのだ、ということがわかって私は心おきなくミラノ観光を楽しみ、レース当日に備えることにした。慌ててファンレターも書く。(Facebookのメッセンジャー経由でフランス語に翻訳してくれた友人には頭が上がらない)万が一ロースターが変更になったときのために、と、念のため便箋とプレゼント(シャヴァネルが好きなピンクを基調にした手ぬぐい)をスーツケースに突っ込んでいたのが幸いした。
レース前日、友人らの多大なるサポートにより監督会議をやってる会場をつきとめ、そこで監督であるカールストローム(選手時代、リクイガスで来日しているフィンランド人監督)にまず接触。
「日本から来ました。シャヴァネルのファンです。彼にプレゼントを渡したい。明日会えますか」
ということを拙い英語で説明すると、
「明日、スタート前に来れば会えると思うよ!」
とにこやかにお返事をいただけた。
雑談ついでにジャパンカップで来日したときの写真を見せると、カールストロームは懐かしそうに笑う。当時私は彼に会うことが出来なかったけれど、友人が撮ったものを送ってもらって見せた。
ロードバイクのフレームにサインを入れてもらったファンのことを覚えてる? と聞いたら、彼は優しく頷いた。
そして翌日。レース当日。
その日は朝から寒く、ぽつぽつと雨が降っていた。交通規制があるので路面電車やバスが目的地に行かないかも、ということだったので少し離れた地下鉄の駅からトボトボと歩いた。
しばらく待つと、チームバスが続々とやってきた。
驚くことに、イタリア人と他著名選手が所属するチーム以外のチームバス前は閑散としている。
こんなもんなのか、と思った。
そりゃあ、グランツールとは比べてはいけないのはわかっているけれど、 IAMのチームバスの前には私がひとりでぽつねんとシャヴァネルを待っている状態だった。
ええ!? このような怪しい東洋人しかいないなんてめちゃくちゃ目立つやん! 無理! 群衆にまみれたい!
ちょっとした恐慌状態だった。
頼みの綱はカールストローム監督だけ。
運良く彼がバスの外に出てきたところを捕まえる。
「昨日はありがとうございました! シャヴァネルさんはいますか!」
遊びに来た友達じゃないんだから。
挙動不審な私に、カールストローム監督はこれでもかというほど優しかった。
「いまサインに行ってるからもうちょっと待ってね」
ああまだ焦らされるのか。
しかしシャヴァネルが戻ってくるまで、カールストローム監督は私と一緒に待っていてくれて、あまつさえ他のスタッフに私を紹介してくれたのだ。
前日彼にプレゼントした餃子たんのステッカーを見せて、これをくれた子だよ〜といった風に。
チームのみなさんへ、と渡したので、どうやら昨日のうちに配っておいてくれたらしい。女性の広報スタッフは早速スマホに貼っているのを見せてくれた。
そうこうしているうちに、シャヴァネルが帰ってきた。
あっ、あっ…きた…いる…実在してる…。
声を失って固まってしまった私を尻目に、カールストローム監督がシャヴァネルを呼んでくれる。おまけに、フランス語で全部説明をしてくれた。なんて優しい人なんだ…。
シャヴァネルがサングラスの奥の瞳を細めて私を見た。
もう言葉にならなかった。
「あの、これ…プレゼントです…」
昨日より一層たどたどしい英語でそれだけを言うので精一杯だった。
口元をふっと緩ませたシャヴァネルはメルシ、と言ってそれを受け取ってくれた。
雨粒が光って、きらきらしていたのを鮮明に覚えている。
なにも言えねえ。
プレゼントの中に手紙が入っている。思いの丈はそれで伝わるはず。いや無理でしょ。こんなことが許されていいんですか! 頭の中は饒舌なのに、もうほんとうになにも言葉が出てこなかった。
ちなみに、カールストローム監督はあわあわしている私を促してシャヴァネルとのツーショットまで撮ってくれた。お中元を贈りたいと思った。
隣に並んだ瞬間に頭が真っ白になってしまったので、そのあとどうしたのか、という記憶が曖昧だ。
でもスマホを確認すると、任務を遂行したあとちゃっかりFDJとコフィディスのテントへ行っている。そしてセバスチャン・シャヴァネル(シャヴァネルの弟)とナセル・ブアニともツーショットを撮っているので、人間本能に従って動いたほうがいいのだなと思う。
そうして、夢のような接触イベントは終わった。
スタートを見送ったあとはサンレモまで移動してゴールを見ても良かったのだが、もう私は精根尽き果てていたため近くのバールでコーヒーとクロワッサンを食べてホテルへ戻り、テレビでレースを見た。
デゲンコルプが勝ってイタリア国営放送の実況席がお通夜になっているのを尻目に、フラフラと街へ出て夕飯を食べた。
それがミラノでの最後の晩餐だったはずだが、ちゃんとお店を調べたり考えたりする気になれず、大通りにあるザ・観光客向けのレストランでミラノ風リゾット(「ミラネーゼ」と呼ばれるサフランを使った黄色いリゾット)とミモザを頼んだ。
ファンになってすぐに知ったのが、シャヴァネルのニックネームは「ミモザ」というらしいということだった。
あとから調べたら、どうやら映画のセリフが元になっているようだったが、知った当時は花のことだと思っていたため、「お花ちゃんだ!!!」と大興奮したものだった。
ミモザ、というカクテルを好んで頼むようになったのはそのせいだった。
黄色いものを摂取しながら、ミラノ最後の夜は夢見心地のまま更けていった。
この日渡した餃子たんのステッカーが、まさかこのあと私をツールに連れて行ってくれるなんて思いもしないまま。
(【TDF帯同記 試し読み02】餃子隊員、お抱え絵師になるへつづく)
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ツール・ド・フランス2015帯同記 通販のご案内
コミックマーケット96にて発行しました、ツール・ド・フランス2015帯同記「餃子隊員、お抱え絵師としてツールへ行く。」の通販ご案内ページです。
(2020/05再販しました)
「餃子隊員、お抱え絵師としてツールへ行く。」
(A5/88P/オンデマンド印刷)
「推しと推しチームに似顔絵と餃子たんステッカーをプレゼントしたら、チームからお声がかかってその年のツールに帯同することになったファンの手記」です。
実に恥ずかしい私小説です。
でもこれを記録に残しておくことであの年の私が成仏すると思ったので作りました。
試し読みは以下 からどうぞ。
「別冊付録ろおどれえす落語」
(A5/36P/オンデマンド印刷)
「アンディ・シュレクとロードレースの狂気にまつわるファンタジー落語(意訳)」です。
こちらは友人であるカンチェさん(ファビアン・カンチェラーラ氏ではない)がブログにて発表されたものをお願いして発行させてもらいました。
めちゃくちゃ好きなのと、思うところがあって一緒に読んで欲しくて本にしました。
以上2冊をセット(送料込み)1700円で頒布いたします。
以下のフォームより必要事項を記入の上送信してください。
折り返しお支払いのご案内をお送りします。
(三井住友銀行かゆうちょ銀行への振り込みになります)
おまけとしてIAMサイクリング本のときに作ったポストカードがつけられますので、必要な方はフォームにてチェックをお願いします。
不明な事があれば、twitterアカウント(mahiro_aok)か以下のメールアドレスまで
mermuur13noir☆gmail.com(☆→@)
餃子隊員2015夏の珍道中、本になる
2015年、餃子隊員はIAMサイクリングチームに帯同するかたちで、10日間ツール・ド・フランスを見てきました。
TwitterやFacebook上でたくさんの人に見守られながらの珍道中でした。
あの10日間に私が見てきたもの、感じたものをまるごと詰め込んだ本を、チームと一緒に作りました!
私にとっては、まるで夢のような、思い出の一冊です。
販売用のものではなく、当時、関係者やスポンサーに配られた、と聞いています。
そもそも2015年、いちファンでしかなかった私の身に何が起きたのかというと…
その年3月、私は引退する前にシャヴァネルさんに会いたい一心でミラノへ行き、彼には似顔絵ステッカーを、そしてチームにはジャパンカップアンオフィシャルマスコット(自称)である「餃子たん」にIAMサイクリングチームのジャージを着せたステッカーをプレゼントしました。
それは、巡り巡ってチームのCEOの元に届きました。
そして私のイラストを気に入ってくれたチームからオファーをいただき、まさかのチーム帯同というかたちでツールドフランスへ行くことに。
チームからの誘いはこうでした。
「IAMサイクリングのオフィシャルブックを作りませんか?」
まるっと全部IAMサイクリング!
ハードカバーの分厚いフルカラー本です。
2015年のツールドフランスに密着した内容です。
グランツールを走る選手たちは、カメラが回っていないときにどう過ごしているのか、カメラには決して写らないスタッフ達はどんな生活をしているのか?…など、テレビ中継では決して知ることのできない素顔のツールドフランスの風景が満載です。
日本語、英語、そしてフランス語の三ヶ国語併記となっています。
わたしの拙い文章に、とてもすばらしい翻訳をつけていただきました。
ありがとうございます。
私がこの年ツールに行っていたのは、実はチームと一緒にこれを作るためでした。
物見遊山じゃなかったんですよ。遊びに行ったわけじゃなかったんですよ。
右も左もわからなくて、英語もままならなくて、もちろんフランス語なんてさっぱりで、でも、ただただ見えたものだけを描き記した、大切な一冊になりました。
当時の様子は友人たちがまとめてくれたtogetterから
写真はFlickrで見ることができます。
(2016年にブログに掲載したものを加筆修正して再録しています)