【TDF帯同記 試し読み04】お出汁欠乏症
滞在二日目。
まだレースは始まっていない。
今日って何をする日だっけと思いながら起きた。
疲れと緊張からぐっすり眠ったおかげで、幸いにして時差ボケはほとんど感じなかった。それよりも、寝る前にステッカーを切っていたので指が痛い。日本にいても海外にいてもギリギリ進行。やっていることがほとんど変わっていなくて情けない。
滞在しているホテルはかなり高級っぽいホテルだ。ツインを一人で使わせてもらっている。バスルームが広く、バスタブがあるのも嬉しくて、昨夜は眠たかったけど意識してゆっくり浸かった。この先のホテルにもあるかはわからなかったからだ。
前日に、朝食は何時からと言われた通りの時間に行くとスタッフの何人かがまばらに食事をしていた。
どこに座ろうか、というのも悩む。悩んでいたら、ミラノで会ったスタッフがいたのでそこにお邪魔する。まだ心臓を弾ませながら「おはよう」と言う。
みんな、ちゃんと眠れたか、疲れていないか、と気遣ってくれる。昨晩の夕食で私の英語が壊滅していることがバレたので、話しかける言葉も多少ゆっくりになっていた。ありがたい。
オランダ最初の朝食は若干覚悟していたけどわりとまともでほっとする。さすがにミラノで食べたものよりかはグレードダウンしてるけど、スクランブルエッグとかベーコンとか、暖かい食べ物もあるし、美味しかった。
一緒のテーブルのスタッフからはまだ質問が相次ぐ。どういう会話をしたのかは、返答を考えるのに必死すぎて飛んでるのだが…。
夕食では見かけなかったが、スタッフの朝食会場は他のチームと一緒だった。
同じホテルにはクイックステップとユーロップカーが宿泊していて、どちらのチームにも好きな選手がいる私はミーハー心がくすぐられて大変だった。
あっあのスタッフ知ってる、とか、うわーコカール青年(フランス人スプリンター。顔がかわいい)がいる! あっちには(みなさんご存知)トマ社長だ! みたいなドキドキが、ホテルのいたるところで起きるのだ。心臓が持たない。このツールにはボーネンが出ていなかったが、出ていたらどうしていただろう。倒れていたかもしれない。
ちなみにシャイな餃子が一番困ったのは、好きな選手を見かけたとき、廊下で行きあったときのリアクションだった。関係者としてホテルにいるわけだから、キャーキャー言っていいのか、みたいなことだ。結局(あっ…いる…)というソワソワとニヤニヤを押し殺してすれ違うだけ、という情けない結果になった。
まあ、これは日本のレースでも同じなのでしょうがない。友達の推しへならいくらでも突撃していけるんだけどな。代わりに、自分の推しへ突撃していくときは友達についてきてもらうのだ。これを「共生関係」と呼んでいる。
食事を終えてカメラを取りに部屋に戻り、急いでホテルの駐車場へ。このあたりから、朝食→駐車場でメカニックの仕事を見学、というのが毎朝のルーティンになっていく。ぶっちゃけ、私が勝手にふらふらと写真を撮れるのが駐車場にいるメカニックだけだったのだ。
明日からのレースに備えてメカニックが自転車の整備をしたり、かと思えば買い出しをしてきた消耗品を前にこれからの打ち合わせをしているスタッフもいる。
そこへはいつのまにかファンが集まってきていた。熱心な地元のファンがほとんどだ。ジャパンカップみたいに小規模なエリアじゃないのに、選手の泊まるホテルをどこから聞きつけてくるんだろう。四賞ジャージを狙うチームのホテルはもっとすごいんじゃないかなと思う。
あとから、ツールのコースマップなどが載っているリング綴じの本を見せてもらったら各日のホテルの割り振りまで載っていた。ああいうのから流出するのかな。
日差しが強くなってきたので退散しようと屋内へ戻ると、Alfonsoから声をかけられる。
明日から怒涛の日々だから、今日はホテルでゆっくりしてもいいし、これからみんなでプレスカンファレンスに行くから着いてきてもいいよ、とのこと。
「行く!!」
やめとけばいいのに、なにひとつ見逃してはいけないと思っていたので即答した。
そうして、メカニックやマッサーなど、ホテルへ残って作業をするスタッフを残して、チームバスとチームカーはプレスカンファレンスの会場へと出発した。
会場は、大阪でいうと南港のATCみたいなところだった。あそこはどういう建物だったんだろう。
建物内のザ・記者会見場みたいなところで、続々とやってくる各チームが順番に会見をするようだ。会見自体はするするとつつがなく終了したが、そこからが長かった。選手たちの個別の取材などがあるのだろう。同行しているスタッフ共々待機の連続である。さすがに業を煮やして、数名のスタッフを残してホテルへ帰ることになったので助かった。スタッフは大変だ、という認識を強める。
そういえば、会見場でジャーナリストの寺尾真紀さんとお会いすることができた。事前にこういう事情でツールへ行きますと伝えていたので、本当に来てしまったんですよ…と言った。まだ二日目だというのに、久しぶりの日本語にほっとした。やはり相当緊張しているらしい。
屋内にある駐車場へ戻ると、取材を終えてジャージに着替えた数名の選手たちがいた。乗ってきたチームバスでは戻らず、タイムトライアルバイクでそのままコースの下見に行くために準備中だった。チームが乗るスコットのスタッフもやってきており、新機材の様子を見る目的もあるのだろう。
タイムトライアル仕様のジャージとバイク、かっこいい。そういえば、全員初日写真に撮ってもいいけどアップしないで、と言われたヘルメットを被っている。今日も広報スタッフに釘を刺される。タイムトライアル初日のお披露目までは内緒なのだそうだ。内部情報〜〜〜〜!! こういうのもドキドキする。
そして、今日はステージの上じゃない選手たち。近い。みんないる…と改めて興奮するがまだ私は選手に紹介されていない。怪しい東洋人は継続中なので、駐車場の隅でこそこそと写真を撮るだけにとどめた。
これはこれで怪しいな。
選手たちを見送ってホテルへ戻り、昼食。
前日の夕食に続きバイキング形式だったが、中華メニューがあって「まひろ! これは君のためのメニューだね!」と親切で言ってくれたんだろうけど「これは!!! チャイニーズ!!!」と反論する余裕が出てきた。お出汁が恋しい。しかし私は梅昆布茶すら買い忘れている。お出汁が恋しい、とツイッターでつぶやくと、「もうかよ!! はえーよ!!」と総ツッコミ。
そして「お出汁は幻よ…」「お出汁 イズ 逃げ水」と粛々と諭されてしまった。
はい…。
昼からはほんとにダラダラしよう、とは思ったには思ったが、いやいや待て資料を撮影しなければいけないのでは? という強迫観念は消えない。少し休んで、ふらふらと外に出る。
案の定駐車場ではメカニックがバイクを整備中。駐車場にずらりと並んだチームバスとチームカー、メカニックトラックが壮観である。
白をベースに、紺色、赤の差し色を使ったIAMのアートワークはスカイなどとも違うスタイリッシュさで、私はかなり好きだった。
カメラ持ってうろうろしていると、集まっているファンのほうに声をかけられる。朝と同じで熱心な地元のファンたちだ。おじさんが多い。君はスタッフか、と聞かれたので、なんで私がここにいるのかを説明したら、「すごいな!」と歓声を浴びた。プロ観客のテンションは国境を越えるんやなあと思いながらしばしお話しを楽しんだ。選手たちのスケジュールは把握していないので彼らに有益な情報を教えてあげることはできなかったが、目当ての選手にサインをもらえただろうか。
メカニックの写真は売るほど撮れたので、ホテルの中庭みたいなところでのんびりスケッチをすることにする。
シャヴァネルに関しては目をつぶっていても描けるのだが、他の選手は難しい。でも「似顔絵の描きがいのある顔」というのが個人的にあり、それを刺激されたのであれこれスケッチをしていた。
湿気がないので日陰にいればずいぶん涼しい。
そこにやってきたのがパンタノのご友人だった。Reneという名前の彼はプロローグから数日、VIPとして招待されているようだ。
スペインのマヨルカ島で、自転車であちこち巡る観光ガイドのような仕事をしているそう。日本に、スペインに、来ることがあったら連絡してね、とお互いに言い合う。
VIPというか、家族・親類や友人を招待している選手はちらほらいる。そういえば監督のリックは小学生くらいの息子さんを連れてきていた。学校は…と聞いたら夏休みだって。そりゃそうだ。学生時代が遠い昔すぎて失念していた。本来Roxaneはこういう人たちの対応をするお仕事なのだな。
彼にも、私がここにいる事情を説明する。前例のないことでびっくりされる。そりゃそうだ。私もびっくりし続けている。 昨日からめちゃめちゃ緊張してんの〜英語もへたくそだし…とついつい自虐に走り、ぐんにゃりしてしまう。通じてるよ大丈夫だよ、と慰めてもらった。パンタノに似て笑顔がにこやかな人で、話しやすくて癒された。
この年はオランダ・ユトレヒトがツールのスタートということで、ディック・ブルーナコラボでツール仕様のミッフィーグッズがたくさん販売されていた。どこかで買いたいなと思っていたら、ロビーで売ってるのに気付いてフロントで購入。四賞ジャージを着た10センチくらいのミッフィーのマスコットだ。Jスポーツでも販売されていたので、覚えている人もいるだろう。ぬいぐるみもあったので買えばよかった。スーツケースの容量を心配して結局買わなかったのを後悔している。
部屋で日焼け止めを紛失してスーツケースをひっくり返して大騒ぎをしているうちに、夕食の時間。
今日はチームバスの運転手のFrancisから、「日本人は無宗教というのは本当か」と聞かれ(ド定番のやつキタ!!)と興奮したが結局うまく説明できずに撃沈した。
信仰とか宗教とかの単語をアプリの辞書で調べながら話したけど納得してもらえなかった。
個人的に、大枠での「日本人」は無宗教ではないと思っている。「食べ物を粗末にするとバチが当たる」とかそういう感覚はちょっとした「信仰」だよなあと思う。ただ明確な教義のあるひとつの神様を信じていたりとかするんじゃないわけで。
八百万の神様であったり、アニミズムの概念が理解されにくいんだな、ということがわかった。でも結局そこから一つ選ぶんだろう? と言われてしまうのだ。一神教の国の人に多神教の話しても全然ピンとこないみたい。難しいね。
変に頭を使ってこの日も終わり。
そして、おい! やっぱりまだ選手に紹介されてないぞ!
一応、そういえば選手にまだ紹介されていないのだが…と聞いてみたけど、みんな忙しいから、とピシャリ。
アッハイ。
そのほかにも、聞いてないよそれ、みたいなことも多々あり、疲労と緊張とストレスがマックスになっていた。
あーもうなんかいろいろ大変だよ!! つらい!! とツイッターで愚痴っていたら、どういう話の流れだったのかはわからなくなってしまったが、私の珍道中を見守っていたフォロワーのひとりが「Taking chances and have struggle」と呟く。
私がそのツイートを見たのは、ツールに出場するチームが宿泊するホテルになって用意されたのか、自転車の絵が飾ってあるロビーでだった。
その絵を見上げながら、自転車レースと同じなのかなあ、と思った。
ここまで来たんだもんな。
大変でも、ままならなくても、やるっきゃないんだよな。
そうだった。
しんどいことばかりではない。夕食の時に、直前まで懸命に描いていた選手たちの似顔絵で作った横断幕をチームにプレゼントしたらすごく喜んでもらえた。明日、チームバスに貼ろうな、と一番はしゃいでいたのはCEOだった。
こういうひとつひとつの嬉しい、で生き延びるしかない。
ちょっと悲壮な決意だったけど。
Gyoza meets IAM TDF2015 #3 | Flickr
(【TDF帯同記 試し読み05】酷暑のツールより餡を込めてへつづく)
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