【TDF帯同記 試し読み05】酷暑のツールより餡を込めて
滞在三日目。
いよいよ第一ステージの朝だ。
準備を整えて朝食会場へ。
そうしたら神妙な顔をしたRoxaneとThibaultに囲まれ、
「ツールは大事なレースだから、選手の邪魔をしないように」
と釘を刺される。
ハイ…と頷きながら、(そんなのわかってますよおおおお)と内心のたうち回っていた。邪魔できるほど度胸ないよ!
でも、まあ、プロのジャーナリストでもフォトグラファーでもないただのファンの女の子をチームに帯同させるなんて前代未聞だろうし、きっとその決定もCEOあたりの思いつきとか、そういうノリで、現場のスタッフはただでさえ忙しいのに! みたいな心境なのだろうなあと感じた。私は私のやることをやるだけだと昨日決意したばかりだったけど、やはり気が重かった。
とりあえず写真だけいっぱい撮っていこう。サインとかツーショとかお触りは諦めるぞ…。来れただけで幸せなんだ。そんなことを考えながらロビーをぶらぶら、ツイッターに「まだ選手に紹介されてないよー」なんてつぶやいていたら、突然Roxaneに呼び止められた。
えっまだ何かあるの。
「今いい? 選手に紹介するから!」
待て待て待て。心の準備ができてねーわ!! と言ってる間に連れて行かれたのは廊下のソファ。
座っていたのはシャヴァネルだった。
ウオオオオオイ大本命からですか!!!
やめて…無理…心臓止まっちゃう…って言って逃げてもいられないのでのろのろと彼の目の前まで行く。
私に気付いたシャヴァネルは、ミラノで会ったときのように柔らかく目を細めた。
ああ~~~~~ラフなチームポロシャツ姿がカッコいいんじゃあ~~~~~~。
Roxaneが(たぶん)彼女はこのツールのことを本にするためにやってきたイラストレーターで、帯同して取材をするよ、みたいなことをフランス語で説明してくれたので、なんとかこれだけは、と覚えたフランス語で、じゅまぺーる餃子隊員(本当はあたりまえだけど本名を言った)、と自己紹介をする。
頭の中は、推しがいる!!! 推し!!! 近い!!! でいっぱい。
そしてフフ、と笑い声をもらした推しの口から出てきた言葉とは!!!
「じゅまぺーるしるゔぁん」
存じ上げております!!! お茶目!!! かわいい!!!
そして追い討ち、死体蹴りが続く。
やめて…餃子隊員のライフはもうゼロよ…。
「ミラノで会ったよね。ねえ、新しいステッカーはある?」
なんと、彼が口にしたのは英語だった。
えーーーーーー!!! 英語じゃん!!!
このひと英語を言うの!? クイックステップ時代、英語で数字を数えただけでスタッフがどよめいた男だよ…?
私がフランス語わかんないから…英語を言ってくれたの…?
いやそれより、開口一番にステッカーか…推しそういうところだぞ…私に限らず、日本人のファンはステッカーを配る民族だと思われていないか? 自業自得なんだけどさ。
そういう心情は表に出さず、というか出せず、ほとんど反射で提げていたサコッシュからステッカーを取り出して渡す。
それで、あの人なんて言ったと思います?
メルシー、じゃなくて、サンキューって、言ったんですよ。
ほんとあなたそういうところだからさあ…人たらし…好き…。
これでもう全部やりきったぐらいになってしまった私は、握手もツーショットもサインも求めずに終わらせてしまった。
バカ…。
そして心臓痛い…となっていたら、そのまま朝食中の他の選手のところへも続けて連行された。
待って待ってキャパオーバー。
大事なレースの初日だというのに、みんなにこやかに挨拶してくれて良かった。ピリピリしている空気はない。
これはツールを通しての印象なのだが、とても朗らかで牧歌的なチームなのだ。当然、真剣な表情で話し合っていることはあるが、根底にあるのはそういう雰囲気だった。
再び自己紹介をしながら、ステッカーを配る…配る…。
クレメントとウィス、エルミガーがいなかったので、彼らには会えなかった。みんなそれぞれ朝食に降りてくる時間が違うのね〜と思う。自分のルーティンがあるのだろう。
朝食会場で挨拶ができた選手の中で、パンタノはすぐにインスタにステッカーの写真をアップしてくれる。人並みに絵描きとしての承認欲求はあるので、褒めてもらえると嬉しい。
今回、せっかくの大舞台だからとツールへ出場する選手全員分の似顔絵を用意したので、絵を描くために全員の名前と経歴はざっくり覚えられたのですごいよかった。描けば覚える。描いて覚える。絵描きの特技であり、特権だなと思う。
これで自信をつけた私、そういえばチームウエアとかをあげるからと言われたので、着替えの服は必要最低限しか持ってきていないのですが?? ということを思い出して、Roxaneに聞いてみる。
すると、そんなものはない、余剰はない、と一蹴されてしまった。
あーーーーーこれAlfonsoからもろもろ伝わってないやつ!伝わってないやつだ!!
いや…いいですけど…なんとかします…そっか…となる。
ぶっちゃけ、もうちょっと、なんというかサポートしてもらえると思ってたけど…そういうのは自分でもぎとらないといけないのだな、と改めて実感した。
お客様じゃない。選手が第一だし。わかってる。しゃーなしやけど、些細なことだけど、良いことと悪いことが交互に押し寄せてくる、そんな感覚だった。
第一ステージを前に、えらい情緒不安定になってしまった。
ぐんにゃりしたまま、第一ステージのタイムトライアルの会場へ。コースはユトレヒトの街中だ。
選手たちはタイムトライアルバイクに乗って自走で向かう。
ホテルの駐車場で出待ちをしてサインをもらっていた子供たちがそれを追ってわ〜っと走り出したのがかわいかった。
余談だが、シャヴァネルは長いツールに備えて、いつも初日に向けてばっさり散髪するようにしてるらしく、ツールの序盤はほとんど角刈りみたいになってる年が多い。けど今年はそうしていなくて、私の大好きなゆるく巻いた茶色の髪がほどよい長さのままだ。生で見られたこのタイミングで、私の一番好きな髪型でいてくれたことはすごいラッキーだった。
私もチームの車に乗って会場へ移動する。ホテルの周りにある木々が、四賞ジャージのカラーに装飾されていることにここで気付く。さすがツールだ。お祭りだ。
すっかりツールムード一色の街中を抜けて、会場へ到着。
到着するとすでにチームのブースは出来上がっていた。
チームテントは平行に駐車したチームバスとメカニックトラックの間に天幕を張って影を作り、選手たちはそこでアップをするという仕組みになっている。選手たちは空調の効いたチームバスの中で、自分たちの出走順を待つという寸法だ。
選手と監督がバスの中でミーティングをしている間、スタッフたちは円陣になってこれからの心構えなんかをもう一度確認しあう。フランス語ができないスタッフもいるので、このミーティングは英語だった。
細かいことだと、こちらのクーラーボックスの中の飲料は選手のためのものだから飲まないように、スタッフ用の水とかコーラはこっち、とかそういうこと。昨日買い出しに行っていた大量のコーラはこういうところで消費されるのか、とわかる。
私はといえば、邪魔にならないようにと釘を刺されたことにビクビクしているので、テントの外側でニンジャのように撮影したいた。でもさすがに日向に居続けたら死ぬと思ったので、柵の外にある日陰に滑り込ませてもらう。
その中で、CEOだけは「なんで外にいるんだ! こちらに来なさい! 座るといい!」と激しく親切なのだが、他のスタッフの手前な〜〜〜。
彼だけが私をお客様として扱ってくれる。トップあるあるだ。けれどトップのお墨付きをもらったので、ありがたく椅子に座ってしばらく過ごさせてもらった。
プレゼンの日にはしゃいで使いすぎたポケットwifiの容量がやばかったので、このタイミングでチームバスのwifiのパスワード教えてもらう。
バスの外でもギリギリ届くので、バスにへばりついてツイッター廃人をやっていた。
隣がクイックステップのバスだったので、ついでにミーハー行為をさせてもらっているあいだにお昼の時間に。タイムトライアルのスタートは昼過ぎなので、準備に忙しいスタッフ、そして私にも昼食が配られた。
小さなタッパーに入ったピラフ? 混ぜご飯? みたいなものだ。パプリカとか、コーンなんかが入っていた。素直に米だ、と喜んだ。こういうのを用意しているのはマッサーだろうか。お米はけっこうもっちりしてて美味しかったけど、暑さのせいか緊張からか、半分くらい残してしまう。
チームテントには、入れ替わり立ち替わり取材のためのメディアや、スポンサーや、いろんな人がやってくる。
選手はそれに対応するためであったり、自分のバイクのセッティングの確認や相談をするためにメカニックと話しに時折バスから出てくる。そういうのを淡々と、内心ワクワクしつつ写真に納める。
ところで、これはこのあとずっと困ることになるのだが、チームテントのエリアが広大すぎて迷子を恐れてあまり遠くへ行けなかった。
それから、毎日スタート地点やらヴィラージュやらのレイアウトが変わるのも厄介だった。ルートマップの本を見れば確認できたようなので、毎朝確認させてもらえばよかったな。
タイムトライアルのスタートが近付き、Alfonsoが横断幕を取り出してきた。どこかに貼ってくれるのか、と思ったら彼はまずチームバスの中へ。どうやら選手に見せてくれたみたい。
そのまま運転席のフロントガラスのところに横断幕を張りながら、みんな喜んでたよ! と私に向かってサムズアップしてくれた。
そうするとクレメントさんが早速「おれってこんな風に見えるの?」とツイッターに写真をアップ。彼にはまだ挨拶ができていないので、私の似顔絵は初見だったのだろう。あの…それどういう…意味…。
しかしこの年は異常な暑さ、とは別の章で書いた通りで、フロントガラスのところで直射日光をモロに浴びた横断幕はしばらくするとあっけなくべろりと剥がれてしまった。
こりゃだめだってことで、選手たちがアップする日陰部分の、バスの側面に貼り直してもらった。いろんなスタッフがああだこうだと試行錯誤して貼ってくれて、ありがたいやら申し訳ないやら。
ちなみに、これ、車体にテープの跡が残るというので運転手のFrancisからクレームが入ったらしく、この後は一切貼ってもらえなくなった…残念。しかし一日中バスを駐車しているのはタイムトライアルの日ぐらいなもので、他の日は一時間もせずにスタート地点を引き払ってゴールへ向かうのだから、貼りたくても貼れなかっただろう。
選手たちが次々にアップに出てくると、ギャラリーも増える。
日本人ジャーナリストにみなさんも取材に来られるので、少しお話させてもらう。その流れでうっかり日本のサイトに写真が載ったりした。
しかし、暑い。
クーラーボックスからコーラをもらって飲む。
コーラって実はあまり好きではなかったのだが、あんなに美味しく感じたのは人生で初めてだったかもしれない。
あまりの暑さにこれから先が思いやられると思ったが、スタッフがずっと外で待機しなければならないのはタイムトライアルの日ぐらいで、あとはスタートを見送れたばそのあとはほとんど車で移動しているのでそこまで心配しなくてよかった。
タイムトライアルは淡々と進む。
みんな順番にバスから出てきてアップしては、コースへ向かい、戻ってきて、ダウンして、バスに入る。監督たちはチームカー二台体制で後ろについているので、始まってからはずっとコースに出ていて顔を見ていない。
チームバスの側面には出走順も書いてあるので、あと三人くらいで終わりかあと思っていると、突然、「チームカーに乗りたい?」言われてエッとなる。
どうも、これから出走するパンタノの後ろにつくチームカーに乗せてもらえるという。
そんなの、乗りたいに決まってますがな!
パンタノのご友人と一緒に乗るようだ。二人でウキウキしながらコースへ向かう。スタッフたちは毎年のことだろうが、私と彼とは初めてのツール体験にウキウキしているのでテンションが合う。共感できる数少ない同志というわけだ。
コースではチームカーが待機していた。
招待者のパスではコース近くへは入れないので、先にチームカーに乗り込んでからコースへ出るらしい。後部座席でホイール持ってたメカニックが、二人も乗るのかよとめちゃくちゃ嫌な顔をしていた。ごめんな。
ぎゅっと乗り込んで、出走したパンタノを追ってチームカーは走りだす。
これが、初チームカー体験である!
ジャパンカップでお金払ったり抽選で当てて乗り込むやつじゃない、ここはツールだ!
ずっとチームテントのエリアにいたので、街の熱狂はそれまで全く見ずにいた。
車内ではほんとうに感動した。
沿道には、人、人、人。みんな笑顔だ。熱狂している。そして街中にはツールを歓迎する飾り付けがいたるところにある。
今更だけど、私とてつもない視点からの初ツール体験なんじゃないの、と思いながら後部座席でメチャメチャに揺られる。
ユトレヒトの街中はかなりカーブが多く、すさまじい運転だったのだ。さすがに酔いはしなかったが、暑い中で疲れていたのでぐったりした。駐車場で走り終えたパンタノを出迎えて、そのまま歩いてチームテントへ戻る。
いやはやすごい体験をさせてもらえました…と、もう終わったみたいな顔をしていると、見たことのある人を見かけて思わず声をかける。
元シマノレーシングの飯野嘉則さんだった。
日本のレースを見始めた頃に、何度かレースでお見かけしていた。引退後はシマノで開発のお仕事をされているそうで、今回はその一環でシマノの社員としてツールに来ているという。
懐かしいお話をしたりして、しばし癒し。帯同中、完全にツールに来ている日本人との触れ合いを癒しポイントにしていたフシがある。ホームシック強め。
IAMの最終走者はコッペルで、彼を見送ったらテントは彼用のダウン機材を残して撤収準備をはじめる。
彼が戻ってきたらダウンを待たずに、他のスタッフはあっさりと熱狂に包まれた会場を離れる。
現地にいると、誰が勝ったかも、チームメンバーの順位もわからなかった。生中継を見ているツイッター勢の情報が一番早かった気がする。
ホテルに戻ってからは、時間が空いたのでRoxaneたちと本の内容についての打ち合わせ。
それから、せっかく私が現地にいるからリアルタイムでなにかしたいねという話になった。なので、私が毎日レース後に絵を描くから、それをアップするのは? と提案する。
この日は、チームテントで選手のアップ用の扇風機の風を浴びるCEO達お偉方のコミカルな姿に、餃子たんのイラストを書き足してアップした。
そうやって私はその日決めたことを毎日粛々とこなしていたのだが、公式ツイッターを運営しているThibaultは正直SNSの更新に熱心なタイプではなく、私の投稿を公式アカウントでRTしてくれるわけでもなく、ただただ私がイラストをアップして、フォロワーが見てくれるだけということになっていった。
これもきちんと本人に要請するなりして、取り決めをしておけばよかったのかな?
いや、したか! 何回かしたぞ! 私はがんばったぞ!
正直それどころではなかったのだろうが、ちょっと寂しかった。私何をやってるんだろう、とさえ思った日もある。このあたり、今思えばもっとうまくやれたんじゃないのかな、と思ったりする。後の祭りだけど。
打ち合わせを終えたあと、なんとAlfonsoが、僕は今日で帰るから、あとはRoxaneに任せたから、がんばってね、とサラリと告白。
うっそー! 何度目かわからない、聞いてないよ、である。
今のところ一番話しやすくて、ちゃんと私のことを気にしていてくれたのはAlfonsoだ。しかも、CEOも帰ってしまうという。
あ、優しくしてくれる人全員いなくなるわ。
私、孤立無援だな?
大変だ、先が思いやられすぎる。
やるしかないとはわかっていても、不安は消えなかった。
しかしこれまで丁寧にサポートしてくれたAlfonsoにはしっかりお礼を言って、お別れをすます。
そういえば、チームが戦っているのはツールだけじゃないんだよな。同時進行で他のレースもあるのだから、ツールがいくら大事なレースだからといって、それにだけ注力することはできない。
チーム運営というのは大変だ。
グランデパールを見届けてスイスへ戻るスタッフを見送ると、ユトレヒトの街がようやく夜闇に包まれていく。
三日を過ごしたユトレヒトとも、いよいよ明日でお別れ。
広げすぎた荷物をパッキングして、日本から持ってきたほっとアイマスクをして寝る。
明日からはいよいよラインレースになる。
本当の旅の始まりだ。
Gyoza meets IAM TDF2015 #4 | Flickr
本文試し読みはここまでです。
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